1年で聖書を!
◆ 詩篇140-142
◆ Ⅰコリント14:1-20
聖書のみことば ルカ19:37-44
 
エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、―ルカ19:41

ハイチで2010年に大地震が起こり、壊滅的な被害をもたらしました。この小国を襲った大惨事のニュースに、誰もが大きなショックを受けました。胸が張り裂けそうな多くの映像の中で、特に私の心を捉えた一枚の写真があります。ひとりの女性が、大きな瓦礫の山を見つめて泣いています。彼女は、同胞たちのあまりの苦しみに圧倒され、混乱していたのでしょう。ただ途方に暮れて、涙を流すばかりでした。彼女の気持ちは理解できます。ただ涙を流すことだけが、目撃した苦しみに対するふさわしい反応なのです。

この写真を見つめながら、私はふと、主イエスのあわれみについて考えました。イエスもまた涙されました。イエスは涙の必要性を理解しておられました。けれども、イエスが目にされた惨状は、地震とは別の種類のものです。それは、罪による痛ましい状況でした。不正義と腐敗にまみれ、それによる人々の苦しみが蔓延するエルサレムを、イエスは深くあわれみ悲しまれました。聖書は「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣い(た)」と語ります(ルカ19:41)。
 

世の中の非人道的な出来事や、人々の苦しみ、世の罪などを目にしたとき、私たちの反応はどうでしょう。もし、キリストの心が私たちの世の現状を見て痛むなら、私たちの心も同様に痛むべきではないでしょうか。そして、困っている人たち(霊的な意味でも、物質的な意味でも)を、何とかして助けようとすべきではないでしょうか。

(Bill Crowder)

あわれみは、「あなたの痛みを癒すために必要なものは何でも差し上げましょう」と言う。