1年で聖書を!
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
聖書のみことば 出エジプト記5:1-14,22-23
わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、……伸ばした腕……によってあなたがたを贖う。―出エジプト記6:6
この前もそうでした。書斎を片付けようと急に思い立って、私は動き出しました。すぐに思い直せばよかったのですが、そうしなかったので、部屋は以前にも増してひどいことになりました。本や新聞、そして雑誌の選別をしていくうちに、ひとつの山がいくつもの山になっていきます。部屋がどんどん散らかっていくにつれ、私は片づけを始めたことを後悔しました。けれども、今さら、後戻りはできません。
神は、奴隷になっていたイスラエル人を救うために、モーセを選ばれましたが、彼らの状態はどんどん悪くなっていきました。イスラエル人たちは、神に助けを求めていました(出2:23)。ですから、救済という任務は、誰かが行わなくてはなりません。そこでモーセが選ばれ、彼は(本当にしぶしぶでしたが)パロのところに出て行って、イスラエル人のために申し立てをしました。けれども、この試みはうまくいきませんでした。パロは、イスラエル人を解放するどころか、理不尽な要求をつきつけたのです。モーセは、自分のやったことが正しかったのか、疑問を持ち始めました(5:22-23)。パロがイスラエル人を解放したのは、多くの人々がさらにたくさんの苦難を経てからのことでした。
何か善いことを始めようとして、それが神のみこころだと確信していたとしても、状況は良くなるどころか、かえって悪くなる場合が往々にしてあります。しかし、驚くにはあたりません。私たちは間違ったことをしているわけではありません。ただ、すべてを成されるのは神だと覚えている必要があるということです。
困難な局面では、神の先見の明が、何よりも重要だ。
トピック:
神の備え