1年で聖書を!
◆ ダニエル書8-10
◆ Ⅲヨハネ
◆ ダニエル書8-10
◆ Ⅲヨハネ
聖書のみことば Ⅰコリント13:8-12
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。―Ⅰコリント13:12
地下牢で息子を出産した女性の物語が、C.S.ルイスの著書「栄光の重み」の中にあります。母は外の世界を知らない息子に鉛筆で絵を描いて、その様子を教えてやりました。ふたりは後に釈放され、鉛筆描きの簡単なスケッチは、本物の美しい世界に取って代わりました。
私たちが聖書を読み、聖霊によって心に思い描く天国の有り様は、この鉛筆画のようです。それはいつの日か、喜びに満ちた直接の体験に代わります。私たちの天国に関する理解は、キリストの御前に行く未来のその日までは、限定的です。使徒パウロも、そのように理解していました。彼は、「今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」と述べています(Ⅰコリ13:12)。しかし、将来に栄光を受けるという確信は、試練の只中にあっても、パウロに力を与えてくれました。ですから、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」と語ることができたのです(ロマ8:18)。
今私たちが抱いている天国の栄光のイメージは、簡素なスケッチに過ぎませんが、イエスが私たちのために場所を備えに行くとおっしゃっているので、それを信じることができます(ヨハ14:1-3)。最高のときは、これからです。
聖書を開けばイエスが分かるが、直接お会いする日もそのうちに必ず来る。
トピック:
天国