1年で聖書を!
◆ 民数記34-36
聖書のみことば ピリピ4:10-20
 
私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。―ピリピ4:11

最近、言葉を話し始めた娘は「もっと」と言うのがお気に入りのようです。ジャムを塗ったトーストを指差して「もっと」と言い、夫が子ブタの貯金箱にコインを入れてあげると、手を伸ばして「もっと!」と言います。ある朝、職場へ行く夫に「もっと!パパ!」と叫んだほどです。

私たちもうちの娘のように、あたりを見回して「もっと」を求めがちです。人は残念ながら、十分にあっても十分とは決して言いません。この悪循環を断ち切って「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」(新共同訳 ピリ4:11)と、パウロのように宣言するためには、キリストの力が必要です。

「習い覚えた」というみことばから、パウロが常に「楽勝!」という状況だったのではないと分かります。満足の習得には訓練が必要です。パウロの証から、彼の人生は様々な浮き沈みの連続だったことが分かります。まむしに噛まれたり、福音伝道をしたり、いわれのない批判を受けたり、教会を開拓したり…。しかしパウロは、イエスが彼の心に満足感を与えてくれたと述べました。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」と語っています(13節)。貧しくて辛い時期を耐える力や、物質的な豊かさに飲み込まれない力。イエスこそが、霊的な筋力を与えてくださったのです。

「もっと、もっと」と願っている自分に気づいたら、思い出してください。私たちは、キリストを「もっと」いただいたときにこそ満足します。

(Jennifer Benson Schuldt)

真の満足はこの世の何からも得られない。