1年で聖書を!
◆ 詩篇49-51
聖書のみことば ルカ18:1-8
 
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。―ルカ18:1

最も辛いのは答えられない祈りではないでしょうか。みなさんも思い当たるかもしれません。例えば、友人が依存症から救われるように、家族が救われるように、病気の子が癒されるように、壊れた人間関係が修復できるように、などと祈ります。どの課題も神の御心にそっています。そして、何年も祈りますが神からの返事はなく、状況が変わる様子もありません。

「主よ、あなたは力あるお方です」と祈ります。この願いごとは正しいはずです。あなたは神に懇願し、そして待ちます。ところが…。そして、疑いが芽生えます。神は聞いておられない、それとも、全能というわけではないのかも…と。そして、祈るのをやめてしまいます。ところが数日、もしくは数ヶ月たつと、神を疑ったことに罪意識を感じ、悩みを打ち明けて欲しいと神が語っておられたことを思い出します。そして、また祈り始めるのです。

自分はルカ18章のイエスのたとえ話に出てくる、しつこいやもめのようだ、と思うことがあるかもしれません。やもめは裁判官の所へ行き、しつこくせがみ、裁判官が疲れて折れてくれるように頑張ります。しかし神は、このたとえ話の裁判官よりも、ずっと親切で強いお方です。私たちは神を信頼しています。神は善良で賢く、主権者たるお方です。イエスは「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」と言われました(ルカ18:1)。ですから、私たちは「神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行われた神よ。御力を示してください」(詩68:28)と祈ります。そして、神を信頼し、待ち続けます。

(Anne Cetas)

即答されないことは拒絶ではないのだから、祈り続けよう。