1年で聖書を!
◆ 詩篇133-136
聖書のみことば 創世記48:8-16
 
きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。―創世記48:15

ジョージ・マセソンは「疲れし心を慰むる愛よ」(讃美歌360番)を書いたことで有名ですが、「気づかぬ恵み」という歌も書いています。その歌の中に「歩んできた道」を振り返る部分があります。立ち止まって振り返ったならば、父なる神がずっと導いてきてくださったことがよく分かるという内容です。

神は行程、つまり、人生の走るべき道を、私たち一人ひとりに与えておられます(使20:24、Ⅱテモ4:7)。その道のりは、主権者なる神の目的に根ざして天で決められて、進路が記されています。

しかしながら、私たちに選択肢がないわけではありません。私たちは大なり小なり、日々何かを選び取っています。その中には、人生を左右するものもあります。そこで問題なのは、神のご支配と人間の選択の神秘的で不可解な事柄はさておき、自分の走るべき道をしっかり見定めるということです。

年を重ね、振り返る道のりが長くなった今、己は何をすべきかという答えはより明確です。人生を振り返って分かることは、神がずっと導いてきてくださったことです。「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」(創48:15)と心から言えます。今日この時点で暗雲が立ちこめていても、また将来が見通せなくても、私には、羊飼いが道を示してくださるという確信があります。私がすべきことは、ただ主を愛し、主に忠実に従うことです。主に向かう一歩一歩を信頼して歩むことです。

(David Roper)

将来のことは分からなくても、すべてをご存知の神を信頼することができる。