ずいぶん時がたってから知ったことですが、私にとっては偶然の出会いが、私の(未来の)夫にとっては、絶好のタイミングだったのです。教会の2階のバルコニーから私の姿を見つけた彼は、私が出てくる扉を推測するや、勢いよく階段を駆け下りました。そして、私より数秒前に出口にたどり着くと、さりげなくドアを開けながら声をかけ、今思いついたかのように食事に誘ってくれました。けれども実は、前々から計画していたのだとは、そのときは知る由もありませんでした。

絶好のタイミングというのは、人間にとって、そうたびたび起こるものではありません。けれども、神ははっきりとした目的とご計画を持っておられ、神のタイミングはいつでも絶好です。

聖書の登場人物たちを見れば、そのことが分かります。アブラハムのしもべがイサクの妻について祈ると、神はその祈りに応えて、相応しい若い女性を導かれました(創24章)。ヨセフは奴隷として売られ、無実の罪で投獄されました。しかしついに、彼は用いられました。神は、彼によって、多くの人々の命をききんから救われました(45:5-8、50:20)。「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」(エス4:14)とモルデカイに促され、エステルは勇気をふるって行動します。

神のご計画がなかなか進まないと気を落としていませんか。神を信頼しましょう(詩 37:3)。神は絶好のタイミングで扉を開いてくださいます。