私たちの祈りと神のみこころ
祈ってくださいと書かれた手紙が届きました。「祈ってください。私は多発性硬化症患者です。筋肉が弱り、物を飲み込むのも困難です。痛みは増すばかりですし、視力も落ちています。」何もしてあげられないようで、やりきれない思いでした。とりなしの祈りを求める文面には、弱っていくばかりの体を憂う女性のあきらめさえ感じられました。
誠実と信仰の人生
父親の90歳を祝って、兄弟と一緒に誕生パーティを開きました。2010年のことです。私は自宅を開放し、家族や友人たちを招いておいしい食事でもてなしました。居間にあるバンジョー、ギター、マンドリン、アップライト・ベースにアイリッシュ・ドラムといったさまざまな楽器を手に取り、皆で一日中歌いました。大きなバースデーケーキにはこんなメッセージが書かれていました。
移動図書館
ゲーム機などができる前、私の少年時代のことです。長い夏休みには、毎週やってくる移動図書館が楽しみでしかたありませんでした。地域の図書館になかなか行けない人たちのために、本棚にぎっしり本を詰め込んでやってくるバスです。この移動図書館のおかげで、たくさんの本を読んで夏を楽しく過ごせました。今でも、この移動図書館が私を読書好きにしてくれたと感謝しています。
ますます
今日、不況が続く世の中でこだまする声は「縮小、縮小」です。政府は財政を切り詰めるよう求められ、人々はエネルギーの消費を控えて、限られた資源を大切にするよう促されます。それは誰もが傾聴すべき良いアドバイスです。しかし、信仰の世界においては、愛と恵みと力は不足することはありません。ですから、クリスチャンである私たちは神の愛をますます行動で示すよう促されています。
愛が届く
ずいぶん前のことですが、こんな漫画がありました。仏頂面の老人が、しわくちゃのパジャマを着て玄関に立っています。彼は夜の戸締りをしたところでした。カギが4つ、南京錠2つ、それにドアチェーンという用心深さです。そのとき老人は、小さな白い封筒がドアの下にはさまっているのに気づきました。封筒には大きなハート型のシールが貼ってありました。バレンタインです。愛が彼の元に届いたのです。
恐れが忍び寄るとき
娘が「ママ、虫!」と叫んだので、娘の指差す方を見ると、ペットショップ以外では見たこともないほど大きなクモがいました。私はもちろんですが、クモもこの家にいてはいけないと悟ったようでした。張り詰めた空気の中でクモと向かい合ったまま、私は身動きひとつできませんでした。脈が速くなるのを感じ、息を呑んで、大丈夫だと自分に言い聞かせました。それでも恐怖で凍りついたように、じっとしていました。
神には驚かされる
私たちの10年間住んだ家は、借家でしたがとても気に入っていました。ところが突然、家主がその家を売ることになったと知らされました。私は神に「状況を変えてください。妻と私が家庭を築き、子どもの成長を見守ってきたこの場所に留まれるようにしてください」と祈りました。しかし、神の答えは否でした。
富のチャレンジ
私が家族とケニアに住んでいた1980年代のことです。あるとき、ナイロビに住む若い女性をビクトリア湖畔に住む両親の所に車で連れて行ってあげました。途中、キスムという町で宿泊する予定のホテルに立ち寄りました。ベッドが二つある普通サイズの部屋でしたが、彼女は「5人しかいないのに、こんなに広い部屋に泊まるの?」と言いました。
恵みに満ちた神をたたえる
最近あるホテルに行った時のことです。ロビーには、目を見張るほど大きな生け花が飾ってありました。完璧とも言うべき色鮮やかなアレンジからは、優雅な香りが漂っています。私は足を止めて、しばしその美しさに見とれていました。それから、「ふんだんにある、満ちあふれる」ということには、どこか私たちの心を捉えるものがあると思いました。