金婚式の記念に妻のシャーリーと、ノルウェーのフィヨルドめぐりのクルーズに出かけました。船は北上しながら、さまざまな町や村に立ち寄りました。私たち はそこで、いろいろな教会を訪ねました。その中に12世紀に建てられた教会がありましたが、ガイドは「今でも動いている教会ですよ」と誇らしげに案内しま した。私は、「どういう意味ですか」と尋ねると、彼女は次のように答えました。ノルウエーでは国教の時代、牧師は国から任命されて赴任し、給与を受け取っ ていましたが、教会の人々はまったく礼拝に行かない、ということがめずらしくありませんでした。ところが、この教会の信徒たちは千年にわたって忠実に礼拝 し、活発に主に仕えてきたといいます。
私はすぐに、黙示録2章と3章に書かれている七つの教会を思い浮かべました。主イエスは、「わたしは、あなたの行いを知っている」(黙2:2、9、13、19; 3:1、8、15)とおっしゃいました。
使徒パウロもまた「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐」(Ⅰテサ1:3)について、テサロニケの教会を褒めています。
私が集っている教会も130年以上、忠実に聖書のメッセージを語り、教会員の世話をし、地域に仕えてきました。まさに「動いている教会」です。ともに成長し、ともに主に仕えることができる地域の教会の一員になることができるなら、それは何と素晴らしい特権でしょう。
教会は生きたからだなので、各部分は動いていなければならない。
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