カナダ人のウィラードS.ボイル氏は、デジタルカメラやハッブル望遠鏡に組み込まれた電子センサーの共同発明者で、ノーベル物理学賞を受賞しました。あるとき、彼は新しいデジタルカメラを購入しようと、ノバスコシア州ハリファックスの、とあるカメラ店に行きました。カメラ店の販売員はボイル氏にカメラの精密さを説明しようとしましたが、途中でやめてしまいました。彼には複雑すぎる話だろうと思ったからです。すると、ボイル氏はぶっきらぼうに言いました。「私に説明する必要はないよ。私が発明したんだから。」

サタンがヨブを試すことを神がお許しになり、彼の家族や健康、そして財産が奪われたとき(ヨブ1-2章)、ヨブは自分の生まれた日をのろいました(3章)。そして、なぜ、神はこれ程までの苦しみを耐えさせるのだろうと疑問に思います。すると神は、聖なるぶっきらぼうさで答えられました。神がいのちを「発明」し、この世界を造られたということを(38-41章)。神は、自分の言ったことを再考しなさいとヨブに言われました。ご自身の偉大な力と奥深い知恵に目を向けるように仕向けられ(38:4-41)、ヨブが、自分の無知を悟るようになさいました。

もし、「人生はこうあるべきだ」と神に言いたくなるようなことがあったら、思い出しましょう。神が人生を「発明」されたのです。どうか、主が助けてくださり、自分の無知を謙遜に認め、宇宙の創造主である神に頼ることができますように。