医療用メスの開発者でスイス人のカール・エルズナーは、何年もかけて軍仕様のナイフを制作しました。19世紀のことです。このスイスアーミーナイフは、その鋭い切れ味と多機能性で今日でも多くの人に知られています。小刃、金属のこぎり、はさみ、ルーペ、缶切、ドライバー、定規、ボールペンなど、多彩なツールがセットされていて、野外でキャンプをする人たちに、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれるのです。

私たちクリスチャンにも、罪にまみれたこの世を正しく生き抜くために、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれる何かが必要です。そのために、神はご自身のみことばをくださいました。パウロはこう語っています。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモ3:16-17)。

「整えられ」ると訳されている単語は、「完全に適応させる」または「きちんと取り付ける」という意味です。聖書は次のようにして私たちを整えてくれます。第一に、「教義」という霊的真理が与えられます。次に、私たちの不完全な部分を示し「戒め」てくれます。さらに、私たちが罪を犯したとき、それを示して「正して」くれます。最後に、正しい人生を生きるために「指導」してくれます。

神のみことばほど価値あるツールはありません。みことばは、私たちが信仰者として歩み続け、霊的な成長を遂げるために不可欠なものです。