友人のジェーンが職場のミーティングで発言しましたが、何の反応もありません。それで、もう一度言ってみましたが沈黙でした。同僚たちは彼女を無視したのです。彼女は、自分の意見は彼らにとってどうでもよいことだし、自分自身もいてもいなくてもどっちでもよい存在だと感じました。ひょっとしてあなたは、彼女の気持ちが分かるかもしれません。
昔、神の民たちも、ジェーンのように感じていました(イザ40章)。イスラエルの民は、自分たちの苦しみに無関心で目をつぶっておられるのは、神ご自身だと思っていました。ユダ王国の人々は、カルデヤ人に捕えられて、捕囚の民としてバビロンに引かれて行きました。ユダの人々は、「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている」と嘆きました(27節)。
イザヤもまた、神と比べれば、「国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのよう」だと言いました(15節)。しかし彼は、神は疲れた者に力を与え、精力のない者には活気をくださるお方であることも教えたのです(29節)。主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができ、走っても疲れない、と語りました(31節)。
自分は目立たないし、無視されていると感じても、神があなたを見ておられ、気にかけておられることを思い出してください。神を待ち望みましょう。神があなたに新しい力を与えてくださいます。
神を遠くにしか感じられなかったとしても、私たちは、 神の愛といつくしみに包まれている。
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神の心配り