アメリカの第33代大統領のハリー・トルーマンには、ある規則がありました。怒って書いた手紙は、24時間机の上に置いてからでなければ郵送してはならない、というものです。この冷却期間が終わってもなお同じ気持ちなら、その手紙は郵送されました。人生の最後を迎えたとき、机の大きな引き出しは、送られなかった手紙でいっぱいでした。

今日のような超高速コミュニケーションの時代であっても、24時間ならずとも、24分間でも自制するゆとりを持つならば、どれだけ恥ずかしい体験を回避できるでしょう。使徒ヤコブは、人類史上の普遍的テーマ、すなわち、いらぬことを言うとどれほどひどい害を及ぼすか、を取り上げました。彼は、「舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています」と書いています(ヤコ3:8)。

うわさ話をしたり、怒りにまかせて何か言ったりしたなら、そのとき私たちは、神の願いから逸脱したところにいます。私たちの口(またはペンやキーボード)は、神が抑制してくださることに感謝して、もっと黙っているべきです。私たちは口を開くことで、自分が人としてどれほど欠けたものかを、みんなに言い回っています。

キリストによって自分はこんなに変えられたと他の人を驚かせたいのなら、口さえ制御できれば十分でしょう。何を言うか、または言わないかで、私たちが神を尊重しているか否かはすぐにわかります。