スポーツ観戦やイベントの入場券、新商品の広告などに「近日発売」という文言があります。新技術の発表や映画などなら、「近日公開」です。このような広告をする目的は、しばらく先の出来事に、期待感やワクワク感を生み出すことです。

ヨハネの黙示録を読むと、この「近日〇〇」という雰囲気が全体に漂っている、という印象を受けます。遠い未来のいつの日かに、イエス・キリストは地上に戻ってこられる、と言うのではありません。黙示録には「すぐに起こるはずの事」(1:1)や「時が近づいている」(1:3)といった表現がたくさんあります。イエスは最終章で「わたしはすぐに来る」と3度も繰り返しておられます(黙22:7、12、20)。このみことばを「まもなく来る」、「即、来る」、さらには「途上にある」と訳している(英語の)聖書もあります。

このみことばが書かれて2千年以上も経っているのに、なぜそんなことが言えるでしょう。私たちの感覚ならば、「すぐに」という言葉が適当だとは思いません。しかし神は、主の再臨の日時ではなく、神の約束は実現するという真理に焦点を当てるように、強く促しておられるのです。

私たちは、今という時代を神のために生きるように召されています。私たちは「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むように」と教えられています(テト2:13)。