ずいぶん昔になりますが、レイ・ステッドマン牧師は主日の礼拝メッセージで、コリント人への手紙第一6章9節から11節を読みました。「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした」(Ⅰコリ6:9-11)。次に、何ともいえない複雑な表情で、「参考のためにお聞きしますが、この中でどのくらいの人が、ここに書かれている罪を犯したことがありますか。身に覚えのある人は立ってください」と言いました。
そこに教会に初めて来た若者がいました。彼はビリー・グラハムの伝道集会でイエスを受け入れたばかりで、その日はびくびくしながら教会に来ていました。教会では何をしているのか知らなかったからです。彼は牧師の質問に、「立つ人がいるのだろうか」と周囲を見回しました。
後で彼が話してくれたのですが、最初は誰も立ちませんでした。ところが結局、ほとんどの人たちが立ったのです。彼は「みんな、自分と同類なんだ」と思ったそうです。
私たちもみんな、この罪人の中に当てはまるでしょう。しかし、自分の罪を告白し、イエスの死によって与えられた永遠のいのちの贈り物を受け取るなら、どんな人でも恵みによって新しく造りかえられます(ロマ6:23、Ⅱコリ5:17)。
私のこの手には何もない。ただ、十字架にしがみついているだけだ。(讃美歌260番3節より)