私たち夫婦は時々、文字の書かれていない手紙を受け取ります。封筒から「手紙」を取り出すと、紙には色とりどりのフェルトペンで絵とも文字ともわからないものが書かれています。これらの「手紙」は私たちの心を温めてくれます。遠方にいる幼稚園児の孫のケイティが書いたものだからです。言葉はなくとも、ケイティが私たちを大切に思ってくれていると分かります。

私たちは、自分が大切に思っている人、また、自分を大切に思ってくれている人からの手紙を大事にします。ですから、神が聖書をくださったという事実に励まされるのです。聖書は、私たちの天の父からの手紙です。聖書のことばには力があり、奮起を促す示唆があり、知恵があります。様々な話を通して人を教えたり導いたります。しかし、聖書の価値はそれだけではありません。何にもまして重要なことは、神が私たちを愛しておられ、救いの計画を持っておられると伝えていることです。神は、私たちを見守り(詩139篇)、必要を満たし(マタ6:31-34)、私たちを慰めてくださいます(Ⅱコリ1:3-4)。神のひとり子イエスの犠牲によって救ってくださいます(ロマ1:16-17)。聖書はその神の愛を語ります。

あなたは、想像できないほど愛されています。聖書は神の霊感によって書かれ、あなたにみことばを通して触れ、神は語っておられます。「私は…あなたのことばを忘れません」と記されているのも、驚くに値しません(詩119:16)。それは驚くほど素晴らしい、貴重な手紙だからです。