Category  |  神の愛

主が立ち止まられる時

病気の猫が私の職場近くで箱に入れられ、何日も鳴いていました。道端に捨てられていたことに、誰も気付きませんでした。しかし、道路清掃員のジュンが見つけ、家に連れ帰りました。彼は2匹の捨て犬と暮らしています。「誰にも気付いてもらえなかったからこそ、彼らを大切にしたいんだ。清掃員も同じ。誰も見ていないからね」と言いました。

一緒に向上する

写真家ソーレン・ソーカーは、ムクドリの大群が流れるように空を舞う「マーマレーション」を撮影してきました。それは、巨大な黒い波が寄せたり引いたり、万華鏡のように変化する墨絵を眺めているようです。デンマークではこの現象を「黒い太陽」と呼んでおり、それはソーカーの写真集のタイトルにもなっています。最も驚くべきは、ムクドリは目前の仲間を追いかけ、一歩間違えれば大惨事という狭い間隔で飛ぶことです。しかし、互いを守るために小声でささやき合います。タカが来ると隊列を狭くして集団で移動し、1羽でいたら簡単に襲われる捕食者を撃退します。

敵を愛する

南北戦争の終結後、戦いが憎しみを生んだがゆえに南部を寛大に扱うべきだ、とリンカーン大統領は言いました。理由を尋ねられると、「敵を友とするなら、敵という存在は消滅するのです」と答えました。約100年後、公民権運動指導者キング牧師はこの言葉を取り上げ、「これは贖(あがな)いの愛の力だ」と語りました。

深い友情の土台

ケンブリッジ大学のクライスト・カレッジの礼拝堂に、17世紀に活躍した2人の医師、ジョン・フィンチとトーマス・ベインズの記念碑があります。二人は「切っても切れない友人」と言われ、研究中や海外の赴任先でも共に過ごしました。1680年にベインズが亡くなった時、フィンチは、36年間続いた「たましいの結婚」の終焉(しゅうえん)を嘆きました。彼らの友情は、愛、忠誠、献身に彩られていました。

一滴ずつ

アビラのテレサは16世紀のキリスト者ですが、私たちは、神に全てを委ねるのではなく、自らが主導権を握ったまま、より手軽で「心地よい」方法で神に関わろうとすると言います。私たちはゆっくりとためらいがちに、時には、不承不承、神を信頼することを学びます。ですから、彼女は言います。自分の人生を都度少しずつ神に渡すのだから、完全に委ねるまで、神の贈り物を一滴ずつもらうとしても満足しなければならない、と。

神の働き人

中東の難民キャンプで聖書をもらい、レザはイエスを信じました。キリストの名で最初に祈ったことは「あなたの働き人にしてください」でした。キャンプを出た後、その祈りはかなえられました。思いがけず難民救援機関に職を得て、自分がいたキャンプに派遣されたのです。彼は旧知の大切な人々に仕えました。スポーツクラブや当地の言語を習う教室、法律相談など「人々に希望を与えるものなら何でも」提供しようとしました。

試練を乗り越えて

アンの幼少期は極貧で悲惨でした。2人の赤ん坊の兄弟を亡くし、 5歳で目を患い視力をほぼ失いました。8歳で母を結核で亡くし、兄弟と共に父に捨てられました。貧民窟のような救貧院に入所し、そこで弟を亡くしました。

神は十分以上

エレンはクリスマス一時金に大喜びしました。更に、銀行がクリスマス・プレゼントとして1月分の住宅ローンを返金してくれたのです。彼女の家計は自転車操業だったので本当に助かりました。いろいろな支払いができた上に、クリスマス・プレゼントをして他人を祝福することさえできました。

神はあなたを忘れない

私は子どもの頃、切手を集めていました。祖父はそれを知ると毎日、職場に届く郵便物の切手を取っておいてくれました。そして家に行くと、様々な美しい切手でいっぱいの封筒を渡してくれました。ある時「どんなに忙しくても、お前のことは忘れないよ」と言いました。祖父はシャイで愛情を表立って表しませんが、私は深く愛されていると感じていました。