出張帰りの山田さんは、子どもたちにお土産を買おうとしましたが、店員は高価な品ばかりを勧めます。「もう少し手頃な物はありませんか」と尋ねると、ケチだと言わんばかりのいやみを言われました。しかし、どんな土産でも子どもたちは喜んでくれます。愛の心で買って帰るからです。もちろん、今回の土産も大好評でした。
イエスがベタニヤを最後に訪れたとき、マリヤは主への愛を示したいと思いました(マコ14:3-9)。そこで、「非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼ」を持って来て、…イエスの頭に注いだ」のです(3節)。弟子たちはこれを見て憤慨し、「何のために、こんなむだなことをするのか」と言いました(マタ26:8)。ところがイエスは、マリヤをとがめないようにと言われました。「私のために、りっぱなことをしてくれた」は、「私に素晴らしいことをしてくれた」とも訳されています(マコ14:6)。イエスは、マリヤの愛の贈り物を喜ばれました。たとえ埋葬のための油注ぎであっても、それは素晴らしいことでした。
あなたの愛を示すために、主イエスに何をささげたいですか。あなたの時間ですか。才能ですか。財産ですか。
値段が高いとか安いとか、他の人がどう思うかは問題ではありません。主を愛する心が献げるものは、どんな物でも素晴らしいのです。
父なる神よ、あなたの犠牲に報いられるものは、私には何もありません。けれども、あなたが美しいと思ってくださるものを差し上げたいのです。あなたの愛に心から感謝する私の心を受け取ってください。
健全な心はイエスへの愛とともに鼓動する。