月別: 2015年4月

イメージコンサルタント

メディアが発信する情報が大きな影響を与えるので、実業界のリーダーや政治家、スポーツ選手や芸能人にとって、イメージコンサルタントは不可欠です。彼らは世間の目を気にして、必死の努力をします。コンサルタントは多額の報酬をもらって、彼らのイメージアップにつとめるので、その人のイメージと実像は全く違っている場合もありえます。

神へのアクセス

私たちは技術の恩恵をこうむっています。例えば、病気や薬について知りたいことがあれば、インターネットを検索するだけで瞬時に情報が得られます。友人と連絡が取りたいときは、メールを送るかSNSに投稿すればOKです。しかし一方で、この技術のせいでうまくいかないこともあります。この前、自分の銀行口座にアクセスしようとしたところ、本人確認のためにいくつもの質問に答えなければなりませんでした。そして正確な答えが思い出せなかったので、ブロックされてしまいました。携帯電話の電池が無くなって、話の途中で切れてしまうこともたびたびあります。充電しなければ、話を続けられません。

同じ舟に乗って

そのクルーズ船が港に入ると、乗客たちは急いで下船しました。船内では数日前からウイルスが大流行し、何百人もの乗員乗客が病気になっていたからです。インタビューを受けたある乗客は、「でも文句を言っても仕方ないでしょう。同じ船に乗り合わせたのですから、運命共同体です」と言いました。

愛と光

友人たちは夏の家庭菜園の計画を立て始めました。ひと足早く作業を始め、屋内に種を植えた人たちもいます。屋内ならば栽培条件をコントロールし、発芽に適した環境を整えることができるからです。そして、霜の心配がなくなると屋外に苗を移します。菜園に苗を植えたら、草取り、施肥、水やり、そして、ネズミや害虫などの防除が始まります。食べ物を生産するのは重労働です。

基になる本

映画『風と共に去りぬ』は、1939年12月15日にアメリカで封切られ、アカデミー賞10部門を受賞しました。興行成績も素晴らしいハリウッド映画のひとつです。原作は半年で百万部を売り上げ、ピュリッツァー賞を受賞し、40以上の言語に翻訳されたマーガレット・ミッチェルの小説です。叙事的な大作映画は、しばしば不朽の文学作品に基づいています。

全てを与える

アメリカ大統領の就任演説でジョン・F・ケネディーは、「国家が君のために何をするかではなく、君が国家のために何ができるかを問いなさい」と、アメリカ国民を鼓舞しました。それは、自分たちの人生を他の人のためにささげて仕えようという、古くて新しい呼びかけです。その言葉は、第二次世界大戦で自国に仕えた人々の子ども世代の心を動かしました。

愚かな金持ち―ルカ12章

メッセージはこちらから

将棋は人生に似ています。私たちはみんなゲームのプレーヤーですが、大多数は歩兵(ふひょう)で、一歩ずつしか進めません。一方、角行(かくぎょう)には威厳があり、飛車には力があります。桂馬は、他の駒を飛び越えて動けます。もちろん、金や王将は最強です。しかし、これらの駒はゲームが終わるとみんな同じ箱に入るのです。

私たちは自分の人生を見つめ「何のために生きているのか」と自ら問いかけなければなりません。そして、自分はいずれ死ぬという事実に照らして、懸命に富を蓄えることにどれほどの価値があるかを見極めなければなりません。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」とはそういう意味です。

mp3音声メッセージ

 

―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

いなくなった羊、なくした銀貨、いなくなった息子―ルカ15章

メッセージはこちらから

もし、イエス・キリストが今日、1900年前と同じように人となってこの世に来られたら、自分の教会の教会員になって欲しいと思う人たちは、少ないでしょう。聖書を信じる福音的な教会の人たちでもそうです。ましてや、教会の役員や長老になって欲しいとは決して思わないはずです。それもそのはず。イエスは、まじめな人ならば行かないような所に足を踏み入れ、きちんとした人ならば付き合わないような人と交流しようとされるのです。

mp3音声メッセージ

 

―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

希望は生きる

思いもかけない悲劇に襲われ、人生に亀裂が生じると、人はなぜと問いかけます。最近、十代の子どもを亡くした母親に言われました。「分からなくなりました。信じつづけていけるでしょうか。神のなさることに納得しようとしても、どうしてもできないのです。これはいったい、どういうことなのでしょう。」このような大きな疑問に対して、平易な答えはありせん。しかし、イエスを信頼するなら、希望があります。幸せに浴していても、悲しみに押しつぶされそうだったとしても…。