幼い息子を小児ガンで亡くした男性に、ある人が「神は決して耐えられない試練をお与えにはなりませんよ」と言いました。励ましの言葉のつもりだったのでしょうが、言われた方は、耐えられていない自分ゆえに、さらに深く傷つきました。彼は胸を引き裂かれるほど辛く、どうして良いか分かりません。「神さま、私をしっかりと抱きしめてください」と必死でした。
耐えられない試練は与えられないと言う人の根拠は、コリント人への手紙第一10章13節の「神は…あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」です。しかし、前後の文脈を見れば、この「試練」とは誘惑のことであり、苦しみや痛みではありません。人は、誘惑されても、神が備えられた脱出の道を選択するなら脱出できます。しかし、苦しみや痛みからの脱出に選択肢があるとはかぎりません。
イエスも脱出の道を祈られました。「わが父よ、できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタ26:38-39)。しかし結局、私たちの救いのために苦しまれました。
耐えられない苦しみの中にいるなら、神のあわれみの中に我が身を投じましょう。主はしっかりと受け止めてくださいます。
父なる神よ、私は弱くもろいのです。あなたは、私の避けどころ、力、苦しむときの助けです。私は御名を呼び求めます。主よ、私を抱きしめてください。
神の後ろ立てと支えがあるので、この先、何が起きたとしても大丈夫だ。