責任のなすりあい
今までに色々と責められたことがありました。私の罪や失敗、実力不足などのせいで、家族や友人(そして恐らく赤の他人)を悲しませたり、不安にしたり、迷惑をかけたりしたのですから、それはもっともです。一方、私の責任ではないことや、私にはどうすることもできないことなのに非難されたこともあります。
涙の贈り物
友人がお母さんを亡くしたと聞いて、電話をしました。私の母も親しかったのですが、今はふたりとも故人です。話し始めるとすぐに、様々な感情が押し寄せて来ました。別離の悲しみだけでなく、親切で愉快な彼女の人柄を偲ぶ泣き笑いの涙もありました。
理解できないとき
息子が中国語の授業を受けることになりました。授業の初日、持ち帰った教材を見て、びっくりしました。英語を母国語とする私にとって、漢字と音声の関連が理解できません。この言語は非常に複雑で、難解だと感じました。
答えは明らか
神より偉大で悪魔よりも邪悪なもの。貧乏人は持っている。金持ちにはない。もしそれを食べると死んでしまう…。こんななぞなぞに当惑し、あれこれ考えすぎて、「そんなものは無い」という当然の答えを外してしまいました。
キリスト者という名
世界初の看護学校が、1860年7月にロンドンのセント・トーマス病院で開校しました。現在、その学校はキングス・カレッジの一部で、看護学生たちは「ナイチンゲール」と呼ばれています。創立者フローレンス・ナイチンゲールは、クリミア戦争の際、看護の仕事に革新をもたらし、現代の看護学の基礎を築きました。学生たちは卒業時に「ナイチンゲール誓詞」を唱和します。それは、ナイチンゲールの功績が、今日も影響を与えている証です。
嵐を静める
ハリケーン・カトリーナがミシシッピー州の沿岸に迫ってきたとき、ある引退牧師は夫婦で避難場所に向かいました。アトランタの娘のところに行くように勧められたのですが、銀行が閉まっていて旅費を引き出せなかったのです。やがてハリケーンが去り、自宅に身の回りの品を取りに行くと、家は壊れ、父親の写真の入った写真立てが水に浮いていました。牧師がその写真を乾かそうと取り出したところ、366ドル分の紙幣がいっしょに出てきました。ふたり分のアトランタ行き航空券の代金と同額でした。どんなときでも、イエスに頼ることができると学んだ出来事でした。
力を与える賛美
ジョン・フィリップ・スーザは「マーチ王」と呼ばれます。軍楽隊の指揮者であり作曲家で、その作品は、100年以上にわたって世界各地の軍楽隊で演奏されてきました。バージニア・グランド・ミリタリー・バンドの指揮者で音楽史家でもあるローラス・ジョン・シッセルは、交響曲といえばベートーベンというように、行進曲といえばスーザだと評しています。スーザは、音楽には人をやる気にさせ、励まし、奮い立たせる力があると考えていました。
シマリスの叫び
庭に防草ネットを敷いて、その上に玉砂利を敷き詰めようとしていると、シマリスがネットに引っかかっているのに気づきました。私は手袋をはめて、用心しながらハサミで周りの網の目を切り出しましたが、シマリスは私を歓迎しません。後ろ足を蹴り上げたり、噛みつこうとしたりします。私はやさしく、「大丈夫だから、じっとしていて」と言いましたが、まったく通じません。恐れて、暴れるばかりでした。そして、からみついていた最後の網目が切れると、一目散に逃げて行きました。