両親の墓に花をたむけに行ったとき、夫は、他の車が通れるように路肩に乗り上げて駐車しました。最近、長雨がつづき、そのあたりはぬかるんでいたのですが、帰ろうとして驚きました。タイヤが泥にはまって動けません。エンジンを吹かせば吹かすほど、車輪はどんどん泥に沈んでいきました。車を押す人が必要でした。しかし、夫は肩を痛めていたし、私は退院したばかりでした。離れたところに若者がふたりいるのが見えたので、私は必死で手を振り叫ぶと、彼らは、すぐに来てくれました。そして感謝なことに、力を合わせて、車を道に戻してくれました。
詩篇40篇は、ダビデが救いを求めたとき、神が信頼に応えて助けてくださったと語ります。「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は…私の叫びを聞き、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった」(詩40:1-2)。この「穴」は、実際の穴なのか、のっぴきならない状況を表す比喩なのかは分かりませんが、ダビデはどんなときでも救ってくださいと神に訴えました。そうできると知っていたからです。
神を求めるなら、私たちも助けていただけます。神は超自然的に介入されることもありますが、ほとんどの場合は、人の助けという形で介入されます。神にも人にも、助けてもらわなければならないと自覚するなら、神は裏切らないお方だと確信できます。
天の父なる神さま、あなたをほめたたえます。あなたは、どんな窮地からも、私を救い出してくださいます。人に助けてもらうことを、迷惑をかけるといって拒むことがありませんように。また、困っている人に躊躇せずに、助けの手を差し述べることができますように。
神と人から助けられるなら、希望がわいてくる。