子どもたちが小さかった頃のことを、最近よく思い出します。懐かしい思い出は、毎朝、彼らを起こしていたことです。部屋に入り、一人ひとりの名前を優しく呼んで、起きて身支度をする時間ですよと告げるのです。

アブラハムが神の命令に従うために朝早く出発する物語を読むと、私は自分の子どもたちを起こしていたことを思い出します。アブラハムも毎朝、息子の寝床へ行ってイサクを起こしていただろうかと思います。しかし、あの日の朝は、いつもの朝とはまったく違っていました。アブラハムにとって、その朝、息子を起こすことは、胸が引き裂かれるほどつらかったでしょう。

アブラハムは息子を縛り、祭壇に横たわらせました。しかし、神は代わりのいけにえを備えてくださいました。そして時代は下り、神は更なるいけにえ、すなわち最後のいけにえを備えられました。そのいけにえとは、神のひとり子です。ご自分の子、愛する唯一の息子を犠牲にするのは、神にとって、どれほど辛いことだったでしょう。しかし、そんな辛苦をあえて受容されたのは、神があなたを愛しておられるからです。

神に愛されていないのではと疑っているなら、そんなことはありません。神を疑うのはやめましょう。