カレブは神経系の病気で、一時は寝たきりになりました。何か月もかけて徐々に回復し、医師から通学許可が出たものの、おぼつかない足取りでそろそろと歩くのがやっとでした。
ある日、父が小学校へ行くと、息子はよたよたと階段を降りてきました。隣には、友だちのタイラーがいます。他の生徒たちが走り回っている休憩時間、タイラーはカレブといっしょに校庭をゆっくりと歩いていました。
ヨブはタイラーのような友人が必要でした。ヨブの友人は彼が悪いと決めつけ、エリファズは「だれが罪がないのに滅びた者があるか」とまで言いました(ヨブ4:7)。ヨブは「あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ」と応じました(16:2)。
一方、イエスは違います。十字架にかけられる前夜、心を込めて弟子たちを慰められました。聖霊がいつも共にいてくださると約束して(ヨハ14:16)、「あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」と断言されました(18節)。天の御父のもとに昇られるときにも、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と告げられました(マタ28:20)。
私たちのために死なれたお方は、私たちのつらい道も、いっしょに歩んでくださいます。
天の父なる神さま、私たちは傷ついている人に、余計なことを言いがちです。痛む人たちとともに歩むことを教えてください。あなたが私たちとともに歩んでくださったように、辛抱強くゆっくり歩めますように。
イエスに似た者となる最善の方法は、何も言わずに傷ついている友のそばでただ座っていることかもしれない。