子どもの頃、夏の間の最大の楽しみは、一週間のクリスチャン・ユース・キャンプでした。最終日には、友だちと肩を寄せ合って巨大なキャンプファイヤーの周りに座り、神や聖書について学んだことを分かち合ったり、賛美をしたりしました。その中でも、イエスに従っていく決意を言葉にした歌のことをはっきり覚えています。繰り返しの部分に、「もう後戻りしない」という歌詞がありました。

エリシャが預言者エリヤについて行くと決心したとき、今までの生活と決別するために、二度と農業に戻れないようにしました。彼は家に戻り、一くびきの牛を取ってそれを殺し、牛をつないでいたくびきに火をつけて、その火で殺したばかりの牛の肉を調理し、人々に食べさせました。こうして別れの宴を催した後、「彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕え」ました(Ⅰ列19:21)。

神は私たちが自分をささげるにふさわしいお方ですが、 実際に自らをささげようとするなら、大抵の場合、何らかの犠牲を払わなくてはなりません。それは、人間関係や経済状況、または生活形態に関して苦渋の決断をすることかもしれません。しかし、キリストと歩みつづけることで得られるものは、他の何物にも比べられません。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」 とイエスは言われました(マタ16:25)。