車の後部座席にいた娘が、急に大声で泣きだしました。どうしたのと聞くと、お兄ちゃんが腕を「ぎゅっ」としたと言います。息子は、妹がつねったので腕をつかんだと言い、娘は、お兄ちゃんが意地悪なことを言ったからつねったのだと言い返しました。

こういう喧嘩のパターンは子どもにはよくあることですが、大人の人間関係にも出現することがあります。一方がもう一方を不快にすると、傷ついた方は負けじと言い返します。すると元々の原因を作った人は、さらに相手を怒らせることを言って応酬します。こうして怒りは瞬く間に、人間関係にひびを入れます。

聖書は「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる」(箴12:18)、また、「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす」(15:1)と語ります。意地悪や冷たい言葉には、何も言い返さないのが最善の場合も多々あります。律法学者らは、十字架上のイエスをののしりあざけりました(マタ27:41-43)。しかし、イエスは、「ののしられても、ののしり返さず…正しくさばかれる方にお任せになりました」(Ⅰペテ2:23)。

イエスの模範と聖霊の制止は、不快にさせられたときの対処法を教えてくれます。神を信頼することで、言葉を武器として使う必要は無くなります。