釣り仲間が、ある湖の話をしました。ここアイダホ州のジャグハンドル山北壁にあって、うわさによると、大きなカットスロートマスがいるといいます。彼は鉛筆でナプキンに地図を書いてくれました。

後日、私はトラックのガソリンを満タンにし、あの地図を頼りに出発しました。ところが、その道は森林を切り開いた古い林道で、経験したこともないほどの悪路でした。路面は舗装されておらず、土砂崩れの跡や深いわだち、倒木や大きな石ででこぼこです。背中は痛み、車体も傷つき、目的地に着くまでに半日かかりました。「友だちなのに、何でこんな道を行かすのだろう」と思ったものです。しかし、その湖は確かに見事でした。また、魚は実に大きく好戦的で、勝負のしがいもありました。

友人は私を正しい道に導いたのです。私とて、こうと知っていたなら、自分から選択し、文句を言わずに耐えたでしょう。

「主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には」という信仰告白があります(詩25:10)。神が私たちに示される道の中には、でこぼこの荒れた道や冗長で退屈な道もあります。しかし、どの道も、神の愛と真実に満ちています。人生の旅路の終点に来て知るべきことを知ったなら、私たちはきっと「神の道は私にとって最高の道だった」と言うでしょう。