友人が共通の知り合いを評して、「自分が特別だと自惚れている」と言いました。高慢な心が見え隠れしていたからです。ほどなく、その人の不祥事が発覚して、残念に思いました。てんぐになって良いことなどありません。しかし、誰もが犯しがちな過ちです。

心に潜む高慢の罪の邪悪さは、見過ごされがちです。学業や仕事で成功を重ねていくと、自分は別格だと思いがちです。高慢は私たちの本性です。

エズラは「モーセの律法に通じている学者」でした(エズ7:6)。アルタシャスタ王はそのエズラに、捕囚のイスラエル人をエルサレムに連れ帰るように命じました。エズラは自分が別格だと自惚れることもできましたが、そうはしませんでした。彼は律法を頭で分かっていただけではなく、それに従って生きていました。

エズラはエルサレムで、イスラエル人の男性が神の命令を無視して、異国の神々に仕える女性をめとっていると知りました(9:1-2)。そして、悲しみのあまり着物を裂き、悔い改めの祈りをしました(5-15節)。彼は、民が罪に染まっていると知りました。ですから、「私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに」と、神のあわれみだけを頼りに祈りました(15節)。彼は高い目的意識を持っていたので、神と人を愛するように導かれたのです。