私は高齢者施設で、高校の合唱部が歌う「やすけさは川のごとく」を聞いていました。この曲は亡くなった娘メリッサの葬儀に使ったもので、それを聴くとたまらなくなります。メリッサの姉、リサはこのクラブの顧問です。父の気持ちを知っているはずなのになぜ…と思っていると、隣にいた男性が身体を傾け、「これは、今まさに私に必要なものです」とささやきました。私は自己紹介をして、その理由を尋ねました。すると彼は、「先週、バイクの事故で息子を亡くしたのです」と言いました。
何と!私は自分のことばかり考えて、人の必要を忘れていました。神は、今まさに必要な人のために、この曲を用いられたのです。彼の名はマックで、この施設の職員とのこと。私たちは、辛いときに差し伸べられる神の愛について語り合いました。
私たちの周りには助けの必要な人たちがいます。自分の都合や気持ちは脇に置いて、他人を優先すべき時があります。聖書は、「こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」と語ります(Ⅱコリ1:4)。試練の中で、神に慰められたことを思い出しましょう。そして、自分のことばかりに焦点を当てず、隣にいる人をおもんぱかりましょう。その人が、傾聴や祈り、思いやりやあわれみを欲しているかもしれないことを心に留めましょう。
神よ、人の必要に敏感になり、良い助け人になれるよう、 私を助けてください。あなたが慰めてくださったことを感謝します。どうか、その恵みを分け合うことができますように。
受けた慰めは分け合うべきものだ。