アメリカ陸軍では、一団が同意承認を表すとき「フーア」と叫びます。元々の意味は定かではありませんが、「聞いた」「理解した」「認めた」という英単語の頭文字、H、U、Aを取ったという説もあります。私は兵役訓練で初めてこの言葉を知りました。
そして何十年もたったある日、「フーア」に再会しました。ある水曜日の朝、男性ばかりで聖書の学び会をしていて詩篇を読んでいると、「セラ」と記されているところで、若い頃に第82空挺師団に属していた男性が、「フーア」と叫びました。以来、私たちは「セラ」の代わりに「フーア」と言うようになりました。
「セラ」の意味はわかっていません。単なる音楽の表記だと言う人もいますが、腹の底からの真摯な応答が必要なみことばの後に表れることが多いので、私にとって「フーア」はぴったり来ます。
今朝は、詩篇68篇19節を読みました。「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ」
神が毎朝、私たちを背負い、一日中、運んでくださいます。主なる神は私たちの救い、主にあって私たちは安全確実なので、恐れたり、心配したりする必要はありません。私は「フーア!」と応答します。
移りゆく時の間も 悩みに勝つ力 父より受けし我は 心に恐れなし 愛に満てる御神は 恵を日々与え 悩み苦しむときも 憩いと安き賜う (新聖歌349番)
礼拝とは、神からいただいた最良のものをささげることだ。
―Oswald Chambers
―Oswald Chambers