月別: 2016年5月

知っていること、行うこと

中国の哲学者、韓非子は人生について、「事実を知るのは易しい。事実に基づいていかに行うか、それが難しい」と考察します。イエスのもとに来た金持ちには、この問題がありました。彼はモーセの律法を知っていて、小さい頃から守っていると言います(マコ10:20)。 しかし、それに加えて何か聞けるかもしれない、と思ったのでしょう。「尊い先生、永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか」と尋ねました(17節)。ところが、イエスの返答にがっかりしました。持ち物を売り払って貧しい人たちに施し、自分について来なさいと言われたのです(21節)。

聖なる心の賛美

友人のマイルナは外国旅行中、礼拝をささげるために教会に行きました。その教会の人たちは会堂に入るとまず、正面から顔を背けてひざまずき、祈っていました。人々は礼拝の前に、自分の罪を神に告白していたのだそうです。

一度しか死ねない

奴隷の子として生まれ虐待された少女、ハリエット・タブマン(1822-1913)は、母が語った聖書物語に希望を見いだしました。イスラエル人が奴隷から解放された話から、神のみこころは、ご自分の民が自由になることだと教えてくれました。やがて、ハリエットは逃亡して自由州に逃げ込み、奴隷ではなくなりました。しかし彼女は、それだけでは不満でした。依然、多くの人たちが奴隷だったからです。彼女は、逃亡奴隷を助ける危険な運動を指揮しました。「一度しか死ねないのだから」と言っていたそうです。

神はともに歩まれる

デイビッド・ディラード氏は、若い建築家たちが顧客の必要を理解できるようにと、彼らに「宿泊体験」をさせました。USAトゥデイ紙によると、彼らは80代や90代の人たちの身体の状態を再現して、パジャマ姿で24時間、高齢者住宅で過ごしたそうです。耳を聞こえにくくする耳栓をし、指が動きにくいようにテープを巻き、視力の問題を再現するメガネをつけました。ディラード氏は語ります。「最大の収穫は、彼らが10倍も大きな心の持ち主になって帰ってきたことです。彼らは高齢者たちとふれあい、苦境を理解したのです。」

あふれる平安

体操クラスの知り合いが、「あなたが修養会をリードしても驚きません。あなたには良いオーラがありますから」と言いました。驚きましたが、とても嬉しかったです。なぜなら、私の内に見たオーラというのは、キリストの平安だと分かっているからです。イエスに従っていくなら、理解を超えた平安が与えられ(ピリ4:7)、自分では気づかなくても内から外に向かって光り輝きます。

羊のようだ

ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。

木々が目覚めるとき

春が来るという望みが、寒くて雪の多い冬のあいだ、私たちミシガン州の住民の心を支えます。そして5月になると、その忍耐が報われます。月初には裸だった大きな枝が、月末には、緑の葉の茂った枝になります。日々の変化は小さくて気づかないのに、我が家の庭の木々は、灰色から緑になっていました。

心配ない

快適な空の旅が中断されようとしていました。機長のアナウンスで、飲み物サービスが止まり、シートベルトを閉めるように言われました。まもなく、飛行機は高波に揉まれる船のように揺れだしました。乗客はみな、懸命に乱気流に耐えていましたが、ひとりの小さな女の子だけが平然と本を読んでいました。着陸後に、なぜあんなに冷静だったのかと問われると、その子は言いました。「パパは機長よ。私をおうちに連れて帰るの。」

どうして私が

ルツは外国人で、夫と死に別れ、貧乏でした。今日ならば、世界のほとんどの場所で、将来に希望の持てない、世間に無視されてしまう人かもしれません。