目覚まし時計が鳴りました。もう朝です。長い一日の始まりです。仕事、会合、人の世話…。やらなければならないことが山ほどあります。あなたに限ったことではなく、私たちの多くは、走れ、走れと毎日、馬車馬のように追い立てられています。
イエスの弟子たちは最初の宣教旅行から戻ってきて、イエスにたくさんの報告をしました(マコ6:30)。ところが、この出来事を記したマルコは、弟子たちの成果に関するイエスの言葉を記録していません。むしろ、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」とイエスが言われたことを書いて、弟子たちの休息に心を砕くイエスに注目しています(6:31)。
結局のところ、私たちが真に休むことができるのは、神のご臨在を感じ、神を信頼できるときです。また、仕事であれ、家族の問題であれ、神への奉仕であれ、ぎゅっと握りしめている自らの手をゆるめて、すべてを神の御手に委ねなければ、リラックスすることはできません。日々意識して時間を作り、肩の力を抜き、雑念を払い、神の愛と神の真実の不思議に思いを巡らし、感謝しましょう。
立ち止まって一休みしましょう。真の休息を取りましょう。
主よ、今日、成すべきこととして与えてくださった 仕事に感謝します。身体も心も霊も、主にあって、 真に休息できるよう助けてください。
人は、仕事が終了したから休むのではない。休むべきものとして神に造られ、神が休息を命じられたからだ。―Gordon MacDonald