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天国の主人

シンガポール労働省は2022年、全ての外国人家事労働者に最低月1日の休日を与えるよう通達し、1日分の賃金の上乗せは適用できないと決めました。しかし雇用主たちは、介護や家事の担い手が無い日ができると憂慮しました。その問題は外部委託で解決されましたが、使用人に休息の必要性があることをおもんぱからない態度は、簡単には解消しませんでした。

心地よい眠り

悪い思い出や非難の数々がよみがえり、ソルは寝付けませんでした。心は恐怖で満たされ、じっとり汗をかいています。明日は洗礼式なのに、どす黒い思いが襲来します。イエスの救いを受け入れ、己の罪は赦(ゆる)されたと分かっているのに、霊の闘いは続いていました。その時、妻が手を取って祈ってくれました。すると、恐怖が消え、平安が訪れました。彼は起き上がり、洗礼前に話す証しを書きました。それまで出来なかったのです。その後、心地よい眠りにつきました。

余白を作ろう

医師のリチャード・スウェンソンは、著書『余白』の中で次のように書いています。「私たちは息をするゆとりを持たねばならない。物思いにふけり、癒やされる自由が必要だ。人間関係は慌ただしさのおかげで瀕死の状態……子どもたちは大人が良かれと思って詰め込んだものに押しつぶされ、あえいでいる。神は消耗戦に賛成なのか。静かな水辺には導いてくださらないのか。ゆったりとしたあの時を奪ったのは誰だ。取り戻す方法はないのか」。スウェンソンは、私たちには静かで豊かな「余白」が必要だといいます。神と会い、神のもとで安らげる場所です。あなたも同感ですか。

安全地帯

教師を引退したデビー・スティーブンス・ブラウダーは、人々に植林を推奨しています。その理由は高温対策です。アメリカの猛暑は、気候関連の死因の第1位です。その対策として、まずは植林、と彼女は語ります。樹木で日陰を作ることは、人々を守る有効な手段の一つです。それは、地域の美観だけではなく、「生きるか死ぬか」の問題なのです。

神にある平安な休息

集中治療室の患者の睡眠を向上させようと、中国福建省の研究者たちはまず、集中治療室に似せた環境を作りました。明るい病院仕様の照明の部屋に医療機器の機械音や看護師の会話を録音した音声を流しました。そして、被験者たちにアイマスクや耳栓などを装着すると、彼らの睡眠が向上したとの結果が出ました。一方、実際の集中治療室の重病患者にとって、安らかな眠りというのは、なかなか得難いものだということも分かりました。

休みの許可

岩に波があたり、しぶきが弧を描くのをスージーと一緒に眺めていました。次から次へと打ち寄せる波を見て、彼女は「海が大好き。私が何もしなくても、動いているから」と言いました。労働を一旦止め休息するためには「許可」が必要だ、と感じる人が多いのは興味深いことです。その許可は「神」が下さいます。神は6日間働いて、光や大地、動植物や人間を造られ、世界を完成されると、7日目には、すべての労働を止められました(創1:31-2:2)。十戒は、神に栄光を帰す健康的な生き方の箇条書きですが(出20:3-17)、「安息日を覚え……よ」 (出20:8-11)は、その一つです。安息日は休みの日という意味です。イエスは、町のすべての病人を癒やされると(マコ1:29-34)、翌朝には祈るために寂しいところに退かれたと(マコ1:35)、新約聖書は語ります。私たちの神は、目的をもって働かれ、目的をもって休まれました。

神の御前に静まる

人間が初めて写真に写ったのは1838年のことです。それは、昼下がりの閑散としたパリの大通りに立つ1人の人で、撮影したのは写真家のルイ・ダゲールです。それは不思議な光景でした。なぜなら、その時間帯には、街は馬車や徒歩の人々で溢れていたはずだからです。実際、撮影場所のタンプル大通りは、いつもと変わらず、人や馬車で賑わっていました。しかし、それらは写真に写っていません。というのも、当時のダゲレオタイプという技法の露光時間は7分でした。その間、静止しているものだけが被写体になります。歩道にじっと立って靴を磨いてもらっていた男性だけが、ダゲールの写真に写り込んだのです。

神の力強い臨在

性別を理由に投票を否定することを禁じるアメリカ合衆国憲法修正19条の批准から100周年を記念する2020年、「主はみことばを与えてくださる。良き知らせを告げる女たちは大きな群れ」という詩篇68篇11節が刺しゅうされた旗を掲げて行進する人たちの古い写真が公開されました。

心が休まる

心が休まらないなら、どんな富や成功にも満足できません。カントリーミュージック界の今は亡き大スターは、こう証言しています。ビルボードのカントリーミュージック部門で上位10位に入ったアルバムは40近く、多数のシングルは1位に輝きました。しかし、結婚と離婚を繰り返し、刑務所にも入りました。キャリアでの大成功にもかかわらず、こう嘆きました。「ざわつく心をどうすることもできない。仕事も、結婚も、生きがいも、少ししか役に立たない。きっと死ぬまでそうだろう」。人生が終わる前に安らぎを見つけることができたのに、何と悲しいことでしょう。