私はドキドキしながら電話が鳴るのを待っていました。これからラジオ番組のインタビューを受けるのです。司会者はどんな質問をするのでしょう。うまく答えられるでしょうか。私は祈りました。「主よ、私は書く方が得意なのです…でも、モーセと同じですよね。あなたが話すべき言葉をくださると信じなくてはいけませんよね。」

もちろん、自分とモーセを比較するつもりはありません。モーセは、エジプトの奴隷だった神の民を脱出させ、約束の地で暮らせるように導いた指導者ですから。しかしモーセは当初、リーダーになることを躊躇し、民が自分に耳を傾けるという確信を神から頂く必要がありました。それで神は、羊飼いの杖が蛇に変わるなどの七つの奇跡を示されましたが(出4:3)、それでもモーセは自分は口が重いと言って決断できませんでした(10節)。神は、自分が主であり、自分が助けて話せるようにしてあげようと約束されました。「モーセの口と共に」あると言われたのです(12節)。

ペンテコステに聖霊が降臨して以来、神の霊は、神の子どもたちの内に住んでおられます。自分には無理だと感じることでも、神がその仕事を与えられたのなら、その任に耐えられるように助けてくださいます。神は「私たちの口と共に」おられます。