偉大な説教者、チャールズ・スポルジョンは、キリスト教界の人材育成のために1856年、スポルジョン大学の前身となる学校を設立しました。校章には十字架を握る手が描かれ、ラテン語で「Et Teneo, Et Teneor」と記されています。これは「私は握り、握られている」という意味です。私たちはキリストの十字架をしっかり握って大胆にかかげると、スポルジョンは語ります。その理由は、十字架の力が私たちを捕らえているからであり、だれもがキリストの真理に捕らえられて欲しいと願うからだと、自伝で述べています。
使徒パウロはピリピの教会に対して「私は…すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追及しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださった」と語っています(ピリ3:12)。イエスに従う者は十字架の物語を伝えます。主に捕らえられ、恵みの内に入れられたからです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラ2:20)。
神は私たちを日々、愛の御手で握っておられます。そして私たちは、神の愛を伝えます。
イエスさま、十字架は歴史の中心であり、私の人生の転換点です。私は十字架にしがみつき、あなたの愛を伝えます。 どうか、私をしっかりと握っていてください。
私たちはキリストの十字架につかまり、 十字架は私たちを捕らえて離さない。