以前、毎週通える教会を探していたところ、友人が自分の教会に誘ってくれました。それで日曜日に行くと、大好きな讃美歌が週報に載っていたので、大学の聖歌隊で教えられたように心を込めて思いっきり賛美しました。すると友人の夫がこちらを向いて「大きな声だね」と言いました。褒めてくれたのではありません。それ以来、私は小さな声で歌うように心がけました。また、自分の賛美について、人の目を気にするようになりました。
ところが、私はある日の礼拝で、隣の列の女性が周りの目を全く気にせず、神への愛にあふれて賛美しているのを目にしました。彼女の礼拝は、自発的で情熱的なダビデ王の礼拝を彷彿とさせました。ダビデは、歓喜して歌うように全世界に呼びかけています(詩98:4)。
詩篇98篇1節は、主が奇しいわざをなさったと語り、それゆえに喜んで礼拝するのだと述べています。ダビデは、全ての国々に対する神の誠実性と正義、また、神のあわれみと救いという奇しいみわざを、この詩篇で語ります。神の品性や神のみわざを思いめぐらすなら、私たちの心も賛美で満たされるでしょう。
神はどのような奇しいみわざをあなたの人生になさいましたか。実りの秋は、感謝をささげるにふさわしい季節です。神の奇跡を思い出しましょう。そして、声を上げて賛美しましょう。
神よ、あなたのご品性とあなたのみわざに感謝します。
礼拝は人を自意識から解放し、その意識を向けるべき場所すなわち、神に向けさせてくれる。