何ということでしょう。私は「あぁー!」と叫びました。パイプの詰まりを何とかしようと試みたのですが、失敗したことはレバーを引いた瞬間に明らかでした。水があふれ出て、私は呆然と立ちつくしてしまいました。

幼い子どもが牛乳を注ごうとして、こぼれてしまうのはよくある光景です。炭酸飲料のボトルをうっかり落としてしまったのにふたを開け、シャンパンのように吹き出したこともあるかもしれません。

液体があふれてこぼれ出るのは困ったものです。しかし、例外もあります。使徒パウロは「あふれてこぼれる」という情景を使って、神の霊に満たされた人を表現しました。聖霊の力で希望が自然にあふれ出ると語りました(ロマ15:13)。

聖霊が私たちの内におられるので、喜びや平安、信仰に満たされ、その品性が外にあふれ出します。そういうことなので、私たちの内からは、天の父に対する無邪気な信頼がにじみ出していきます。それは、人生が順風満帆のときかもしれません。あるいは、激動のとき、辛いときかもしれません。どちらにしても、こぼれてあふれ出るものは、私たちの周りにいる人々の心を潤します。そして希望を分け与えていきます。