月別: 2018年4月

自然から教えられる

聖書のみことば:箴言29:11-17

わがままにさせた子は、母に恥を見させる。—箴言29:15

少年時代のある日の出来事を、決して忘れることができません。怒ったミソサザイの母鳥 が、私の父を目がけて急降下してきたのです。父はたくさんの巣箱を庭のあちこちに置き、子育てのためにミソサザイが帰って来ると、毎年大喜びしました。父の巣箱にはちょうつがいのついたフタがあり、それを持ち上げると中をのぞけるようになっていました。

ある日、かえったばかりのひなを見ようと父が巣箱に近づくと、母鳥はけたたましく鳴いて警告しました。その鳥は、必死の形相です。それにもかかわらず、父がフタを開けようとしたまさにそのとき、怒り狂った小さな母鳥は、父を目がけてフルスピードで急降下しました。そして、出血するほど激しく、父の頭を小突いたのです。

私たちクリスチャンの親は、ここまでしているでしょうか。自分の子どもたちの霊性を傷つける悪から、彼らを一生懸命守っているでしょうか。俗っぽいことや自分の欲望は霊的な脅威であること、そして「悪い者」について、しっかり教えているでしょうか(Ⅰヨハ2:14-16)。自分の子どもが、どんな友だちとつき合っているのか知っていますか。低俗なテレビ番組を見ないように、監督していますか。

子どもたちには、親の注意や指導、保護が必要です(箴29:15)。彼らを霊的な害から守るため、神が親である私たちを助けてくださるように祈りましょう。

子どもの将来の姿は、今日、あなたがどういうものを子どもの心に入れるかにかかっている。

母親としての人生

聖書のみことば:ルカ2:1-7、25-35

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべ ての営みには時がある。—伝道者の書3:1

私は牧師として、子育て中の多くの女性とともに歩んできました。病院に足を運び、この世に生を受けた赤ちゃんの誕生をともに喜びました。反抗期のティーン・エイジャーの娘や息子を心配して相談に来る母親たちには、神は子どもたちをしっ かり見守ってくださると話し励ましました。また、病気やけがの子どもたちが眠るベッドの脇に母親たちとともに立ち、その心の痛みを受け止めました。子どもを亡くし、悲嘆にくれる母親たちとともに泣きました。

イエスの母マリヤも、この喜びと悲しみを経験しま した。イエスがお生まれになったときは、どれほど嬉しかったでしょう(ルカ 2:7)。羊飼いや博士たちが拝みに来たとき、心が踊ったでしょう(8-20節、マタ2:1-12)。「剣が心を刺し貫く」とシメオンが預言したときは、どれほど不安だったでしょう(ルカ2:35)。そして 自分の息子が十字架の上で死んでゆくのを見て、胸をえぐられるような悲しみを体験しました(ヨハ19:25-30)。しかし、そんなひどい体験で彼女の母親としての人生が終わったわけではありません。イエスが墓からよみがえられた時、マリヤは喜んだこと でしょう。彼女はイエスを自分の救い主と信じました。そして、今は主とともに天の御国にいます。

母親は素晴らしい喜びと深い悲しみを経験します。しかし、それだけではなく、もし自らの人生を神に委ねるなら、子育ては、神の永遠の目的に仕える奉仕となります。

母親業は、神との聖なる共同作業だ。

特別だけれど甘やかさない

聖書のみことば:エペソ6:1-4

父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。—エペソ6:4

家族問題専門のカウンセラー、ジョン・ローズモンド氏は、「あなたのお子さんは、世界中の誰よりも特別な子どもですか」と尋ね、そして「もちろん、あなたにとってはそうですね」と答えます。

彼は、親が子どもに「あなたは私たちにとって、特別な存在だ」と伝えるのは健全であっても、「自分は他の人以上の特別な存在だ」と思わせるような育て方はよくない、と言います。そして、次のように警告します。「そういう子どもは、特別扱いされるのが当然と考え、わがままや、ねたみ、かんしゃくを起こして暴力をふるうことなどを正当化しがちです。」どうすれば、そうならずにすむのでしょう。

親が聖書のみことばを実践しているクリスチャンなら、正しいバランスを身につけることができるはずです。まず、子どもを甘やかすのではなく、その子は 神が創造されたかけがえのない存在であるとしっかり伝えましょう(詩139:13-16)。次に、誰もが罪人で、キリストの救いの恵みが必要であることを教えましょう(ロマ 3:23)。

この考えを子どもに伝える親は、「主の教育と訓戒によって育てなさい」(エペ6:4)という使徒パウロの指導をよく守っています。このようなしつけを受けた子どもは、自分が特別な存在だと感じながらも、わがままにならず成長していくでしょう。

甘やかされた子どもは欲しいものをもらえるが、賢い親は必要なものを与える。

パパの規則

聖書のみことば:エペソ6:1-4

父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。 —コロサイ3:21

三人の娘を持つ父親である私は、「デートに関するパパの規則」と題されたEメールに目を留めました。それは、自分の娘とデートしたいと思っている男の子 に向けた父親からの10か条で、皮肉とユーモアたっぷりに表現されています。父親の立場から見て、うなずける真理と知恵が満ちていました。

たとえば第1条は、「家の前に車を止め、クラクションを鳴らして人を呼び出すのは、宅配便を届ける場合に限る」。言い換えると、「礼儀正しくふるまえ」ということです。「娘にはさわるな」「早めに家に送り届けよ」「娘を尊重しろ」など、父親ならどの規則にも同感します。

親は我が子を守らなければなりません。神が私たちを信頼して、子どもを任せてくださったからです。今の世の中は性道徳が乱れ、慎ましさに価値を置かなくなっています。ですから、私たちはそのただ中にいる子どもたちを守らなくてはなりません。

エペソ6章4節のみことば、「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」は、実行が難しいながらもバランスの取れた大切な教えです。私たち大人が、神の道徳基準を子どもたちに正しく教え、同時に自分自身がそれを実践すれば、子供たちをいら立たせたり、失望させたりすることはありません。

子どもたちをいら立たせるのではなく、教えましょう。

子どもたちに教えるために、神から教えられよう。

根気よく聞く

聖書のみことば:コロサイ3:18-25

父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。 —コロサイ3:21

車に「今日、お子さんを抱きしめましたか」と問うステッカーが貼ってありました。これは、親の愛情は目に見える形で子に示さなければならない、と気づかせてくれます。親の愛情表現の大切な方法のひとつは、聴くことです。今日、お子さんの話に耳を傾けましたか。その答え如何(いかん)で、子どもの心に安心感、またはコンプレックスを与えています。

たとえば、タカシという少年が、母親から友人の誕生会へ行く準備をするように言われたとします。「でも、お母さん」と反論しようとすると、母親は即座に「口答えはしないで、手を洗って着替えなさい」と叱りました。「でも、お母さん」と、タカシも譲りません。「とにかく、言われた通りにしなさい」と再度彼の言葉をさえぎる母に、タカシは何度か反論を試みましたが、とうとう誕生日プレゼントを手に玄関から放り出されました。彼は扉をバタンと荒々しく閉めました。それに怒った母親が扉をガバッと開けると、タカシはこう言ったのです。「お母さん、お誕生会は明日だよ。」

コロサイ人への手紙3章21節で、パウロは「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです」と記しています。親が自分の話に耳を傾けてくれないと、子どもは自分は関心を持たれていないのだと思い、失望します。

今日、時間を割いてお子さんの話を根気よく聴きましょう。耳を傾けることは、愛情を示す大切な方法です。

時間を取って耳を傾けると、愛しているということが伝わる。

鎖を壊して

ザンジバル島のストーン・タウンにあるクライスト・チャーチ大聖堂を見学し感動しました。この地はかつて東アフリカ最大の奴隷市場でしたが、その地に大聖堂が建てられました。建築家は、この作品を通して、福音が奴隷の鎖を打ち壊したことを示そうとしています。ここはもはや、残虐非道な行いの地ではなく、神のあわれみが映し出される地になりました。

イエスをしっかり見る

私が子どもの頃に通った教会のジャスティスさんほど誠実な人はいません。妻を大切にし、郵便局員として真面目に働き、日曜日は教会で奉仕しました。先日、この教会に行ったとき、ピアノの上のベルに気づきました。礼拝の始まりにジャスティスさんが鳴らした、あの年季が入ったベルです。彼はずいぶん前に天に召されましたが、誠を尽くすという彼の遺産は、この教会に脈々と受け継がれています。

実地訓練

サイエンスキャンプの引率者として奉仕して欲しいと息子の先生に頼まれましたが、生徒たちの模範になれないと思ってちゅうちょしました。私は神のおかげで、息子を愛して育てることができましたが、他人のために用いられる器ではないと思っていたからです。しかし、神は時と共に人の心と人生を変えてくださる唯一のお方です。私は聖霊の促しによって、使徒パウロが信仰の実地訓練だとテモテを励ました言葉を思い出しました。

知恵からのメッセージ

英国の著名なジャーナリストであり社会批評家であるマルコム・マゲリッジは、60歳の時にイエスを信じました。そして75歳の誕生日、25の鋭い人生の洞察を公に語りましたが、そのひとつは「幸せな金持ちに会ったことは無いし、貧しくて金持ちになりたくない人にも、めったに会わない」というものです。私たちは、お金さえあれば幸せになるとは思っていませんが、それを確認するために、もう少しあればと思っているかもしれません。