米国の偉大な政治家ベンジャミン・フランクリンが経験から得た12の美徳を挙げると、友人から「謙譲」を加えるよう提案され、それに同意して項目を追加しました。フランクリンの13徳と言われるものです。そして謙譲については、イエスを見習うべき模範のひとりに挙げました。

聖書は次のように語ります。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました」(ピリ2:5-7)。

イエスはこれ以上は無いという謙遜の模範を示されました。天の御父と永遠に共におられるお方なのに、愛ゆえにへりくだって十字架にかかり、その死を通して、イエスを救い主と信じる人たちを神の臨在に憩う喜びに入れられました。

人に仕えることで神に奉仕する行為はイエスの謙遜を真似ています。イエスの優しさは、自分のことを脇に置いて人を助ける意義の一端を教えてくれます。「まず自分のことを」という世の中で謙遜を目指すのは困難です。しかし、救い主の愛があれば安心と信じるなら、イエスの謙遜を目指すに必要なものはすべて与えられます。