デイリーブレッドに1988年以来、多くのデボーションエッセーを書いていますが、忘れられないものがいくつかあります。ひとつは90年代半ば、娘3人がバイブルキャンプや宣教旅行などに行き、6歳の息子とふたりで空港見学に行った話です。息子は振り向いて「メリッサがいないとあまり楽しくないね」と言いました。二歳年上の姉で彼の相棒です。

この言葉がどれほど辛い現実になるか、当時は想像さえしませんでした。あの日、高校生になったメリッサが自動車事故でいなくなって以来、人生は確かに、あまり楽しくありません。時は痛みを和らげますが、完全な癒しには程遠いと言えます。しかし、慰め主なる神の約束に耳を傾け、黙想し、そして噛みしめることで、私たちは助けられてきました。

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ」(哀3:22)というみことばに耳を傾け、「主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ」(詩27:5)というみことばを思い巡らします。そして「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」(119:50)のみことばを噛みしめます。

大切な人を失えば、人生は二度と同じではありません。しかし、それでもなお、神の約束は希望と平安を運んできます。