見つかると思うとドキドキしました。いとこがすぐそこまで来ています。あと3歩、2歩、そして「みいつけた!」と笑いました。かくれんぼは幼い頃の楽しい思い出という人は少なくないでしょう。しかし、人生には見つけて欲しくない、むしろ「逃げたい」と本能的に感じる時があります。見つかれば、嫌われるかもしれないからです。

私たちは堕落した世界の子どもなので、友人いわく、神と「かくれんぼごっこ」をしています。神はすべてをお見通しなので「かくれんぼ」ではなく、隠れたふりをしているだけです。私たちも、自分の汚い思いや間違った選択を、神に見られていることは分かっています。それでも隠れているかのように振舞うのです。

しかし、神は探し続けてくださり、「出てきなさい。あなたが見たい。一番みっともない部分も含めて…」と呼びかけてくださいます。それは、神を恐れて隠れた人類の祖に「あなたは、どこにいるのか」(創3:9)と呼んだ、あの声です。「子よ、隠れていないで、わたしとの絆の中に帰っておいで」は、暖かくも、心を刺される招きです。

招きに答えるのは、ハイリスクどころか、ばかげていると思うかもしれません。しかし、天の父なる神の安全な囲いの中では、悪いことをした人も、すべきことをしなかった人も、完全に受け入れられます。そして愛していただけます。