車に乗り込もうとして、後部タイヤの側面にくぎを見つけました。幸い空気は抜けていないようです。修理に向かいながら、いつからだったのだろうと思いました。存在すら知らなかった危険から、どれほど長く守られていたのでしょう。私たちは自分で自分を守っていると考えがちですが、あのくぎは、それが幻想だということを思い出させてくれました。
しかし、万事休すという状況になったとしても、私たちには頼れる神がいます。ダビデは詩篇18篇で、彼を守る神を賛美しています(34-35節)。ダビデは「この神こそ、私に力を帯びさせて…あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした」(32、36節)と語ります。ダビデは神が支えてくださっていることをほめたたえています(35節)。
私はダビデのように戦闘に出て行くわけではなく、むしろ不必要なリスクを冒さないように細心の注意を払います。にもかかわらず、私の人生はしばしば混沌としています。人生に何も起こらないように守ってあげるという神の約束はありませんが、神は、私のいる場所を常にご存知です。私がどこへ行くか、何に遭遇するかもご存知です。それが、たとえ人生の「くぎ」であっても、神はすべてを治める主です。
見えない危険から神が守ってくださったと気づいたのはいつですか。神はどのように危険を退けてくださいましたか。
父よ、私たちの歩みをあなたが見ておられると日々思い出させてください。懸念することや、突然の問題にもあなたが助けてくださると信頼できますように。