信仰について思索している若者と文通しています。彼は「長い歴史の中で、私たちはちりあくたに過ぎない。私の存在には意味があるのだろうか」と書きました。

神の人モーセも「私たちの齢は…早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」(詩90:10)と記しました。人生のはかなさを思うと、自分の存在の意義に不安を感じます。しかし、私たちは、創造主なる神が造り、深く永遠に愛している存在です。モーセは「あなたの恵みで私たちを満ち足らせ…てください」と祈りました(14節)。私たちの存在に意味があるのは、神がそうだと言われるからです。

さらに、私たちの存在の意義は、神の愛を人々に示すという点です。人生がどれほど短くても、神の愛を伝えるなら、人生には意味があります。人生の目的は、お金を稼いで悠々自適の老後を過ごすことではありません。神の愛を示し「神を表す」ことです。

この世の人生は瞬く間に過ぎ去りますが、私たちの存在は永遠です。イエスが死に勝利され、よみがえられたので、イエスを信じる人は永遠に生きるからです。モーセが、朝には神の恵みで満ち足りると語ったのはそういう理由です。あとに来る世々で目覚める朝、私たちは永遠に生きて、愛し、愛されます。ここに意味が無ければ、どこにあるというのでしょう。