賛美の歌声がもれ聞こえてきました。土曜日の朝6時半です。末娘のかすれた声が、すでに起きているのは私だけではないと教えてくれます。彼女は眠気まなこで歌い始めます。実際、いつも歌っていると言ってもいいほどです。起きたとき、学校に行くとき、ベッドに入るときなど、いつでも歌っています。彼女は心に歌をもって生まれてきました。そのほとんどは、イエスを賛美する歌です。彼女はいつでもどこでも神を賛美しています。

私は娘の天真爛漫さ、敬虔さ、そして熱心さを好ましく思っています。彼女の自然で喜びに満ちた歌声は、聖書の招きの反響のようです。詩篇95篇は「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう」と呼びかけます(1節)。この詩篇を読み進めると、この賛美は、神がどのようなお方であるか、そして、私たちがこのお方のものだ、という知識に端を発していると分かります。「主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である」(3節)。「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民…である」(7節)。

娘にとって、朝起きて最初に心に浮かぶのは、これらの真理です。神の恵みによって、この小さな礼拝者は、神に向かって歌う喜びを、私に気づかせてくれます。