クリスマスプレゼントにお金をかけすぎていると感じた母親が、今年は、ちょっと工夫しようと決めました。数か月前からリサイクルショップやフリーマーケットを巡って、少額でいつも以上の数の贈物をそろえました。子どもたちはクリスマス・イブに次から次へと大はしゃぎで包みを開けました。そして翌日、さらなるプレゼント。新品でなくて気が咎めていたので、彼女は、クリスマスの当日用も準備しておいたのです。子どもたちは包みを開きながら文句を言いました。「ママったら、プレゼント多すぎ。開くの疲れちゃったよ。」こんな子どもの反応はめったにありません。

神は、私たちを祝福し、本当に良くしてくださっているのに、私たちは、もう少し広い家、高い給料、最新のスマホ等々、現状になかなか満足しないようです。しかし、使徒パウロは語ります。「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです」(Ⅰテモ6:7-8)。彼は、そう言って教会の人たちを諭しなさいとテモテを励ましました。

生活の必要が守られているだけでなく、息があり、命があることさえ、神の恵みです。神の贈り物を十分に味わい、「神様ったら、恵み多すぎ、もう十分」と言ってみたら、どんなに爽快でしょう。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」(Ⅰテモ6:6)。