オラニエ公ウィレムは、16世紀後半、国土の大半を意図的に水没させ、スペイン軍の侵略から自国を守ろうとしました。「非常時の非常手段」で対抗しましたが、うまくいかず、肥沃な農作地帯の大半が海になってしまいました。

預言者イザヤの時代、イスラエルの民は、アッシリヤの侵略に必死の策で対抗しました。敵の包囲に耐えるため貯水システムを造り、家々を打ち壊し、その石材で城壁を強固にしました。こうした防備は理にかなっていたかもしれませんが、重要なステップが抜け落ちていました。イザヤは語ります。「二重の城壁の間に貯水池を造って、古い池の水を引いた。しかし、おまえたちは、これをなさった方に目もくれず、昔からこれを計画された方を目にも留めなかった」(イザ22:11)。

私たちの多くは、今日、軍隊に取り囲まれることはないでしょう。しかし「攻撃はいつも、普通の人の手で日常的な方法によって起こる」と20世紀初頭の伝道者オズワルド・チェンバーズは語ります。そのような「攻撃」は脅威です。しかし感謝なことに、それは、まず神のみもとに行こうという招待状とともに訪れます。主に必要を訴えましょう。

人生が思うようにならないとき、非常時の非常手段に打って出ますか。それとも、今こそ神に向き合うチャンスだと思いますか。