オーストラリアのウロンゴンのコンビニに入店した男が、20ドル紙幣をカウンターに置き、両替を求めましたが、店員がレジを開くと、銃を取り出し、中のお金を要求しました。そして、お金を受け取ると、20ドルを置いたまま逃走しました。奪われた金額は、15ドルでした。
私たちにも、似たような愚かさがあります。悪事ということではなく、動機は良くても、時に愚かな行動をします。重要な点は、自分の愚かさから学べるか否かでしょう。学んで矯正しなければ、やがてそれは癖となり、性格となって、「愚か者(は)…思慮に欠けている」(伝10:3)となります。
自分の愚かさを認めるのは簡単ではありません。己の品性の欠けた部分を顧みるのはつらい経験です。結論を急ぎ過ぎたと反省し、次回は慎重になるべきかもしれません。理由はどうあれ、己の愚かさを無視するなら、高い代償が伴います。
感謝なことに、神は、愚かさを懲らしめ、私たちの品性を育ててくださいます。すべての懲らしめは、当座は喜ばしくはありませんが、結果的には、平安の実を結ばせるのです(ヘブ12:11)。天の父の懲らしめを受け入れ、神の子にふさわしい人に変えていただきましょう。
愚かな決断をした、ということがありますか。神は何をあなたに学んで欲しいと願っておられるのでしょう。
神よ、あなたは私の愚かな行為を罰して懲らしめられます。そんなとき、これは私の成長を願う天の父の躾だと感謝して受け止められるように助けてください。