スミス夫妻が新居に引っ越すと飼い猫がいなくなりました。ところが、SNSに投稿された前の家の周囲の写真にその姿が写っています。夫妻は喜んで猫を連れ帰りましたが、またもや逃亡です。結局、前の家を買った人が引き取りました。猫が「我が家」に帰ることを誰も止められなかったのです。
ネヘミヤはシュシャンの城で要職にありましたが、「先祖の墓のある町」(ネヘ2:3)が廃墟となったと聞いて、居ても立ってもいられなくなり、神に祈りました。「あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『…あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る』と」(1:8-9)。
我が家とは心のあるところ。ネヘミヤの場合も、故郷を慕う気持ちが勝りました。故郷エルサレムは、神が「わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所」と言われた町です。彼は神と交わることを切望しました。
心の奥底の満たされない思いは、神に対する渇望です。神と一緒の我が家にいることは、すべての人の願いです。
あなたにとって我が家とはどのようなもので、それはなぜですか。自分も神を渇望していると、どういうときに感じますか。
父よ、私の心を満たせるのはあなただけだと分かりますように。どこでも、あなたと一緒なら、そこを我が家にできますように。