標高4,200メートルを超えるコロラド・フォーティナーに初挑戦する息子たちは不安でした。最後まで頑張れるでしょうか。末の子は地面に座り込んで「パパ、もう限界」と何度も訴えました。しかし、私はこの試練は彼らのためだと信じました。父を信じてほしいとも思いました。もう無理だと訴えていた息子は、頂上手前で元気を取り戻し、私たちを追い抜いて一番乗りで登頂しました。不安でも父を信じて正解だったのです。

イサクが父を信じて山を登ったことは驚きです。それ以上に、息子の上に刀を振りかざした時の父アブラハムの神に対する信頼には驚愕させられます(創22:10)。戸惑い胸を痛めながらも神に従った父。すると御使いが、「『あなたの手を、その子に下してはならない」と制止しました(12節)。神にイサクを殺す意図はありませんでした。

この物語と自分の人生を注意深く比較するとき、「神はアブラハムを試練に会わせられた」という1節のみことばが非常に重要です。アブラハムは、神に試されて、自分がどれほど神を信頼していたか分かりました。そして、神のいつくしみと主の山に備えがあることを知ったのです。

私たちも戸惑いと試練の中で、本当の自分を知り、神の真理を学びます。その試練が、神に対する信頼を深めてくれると学ぶことさえあるでしょう。