週1回の伝道部会の会合で、ウォレンが「ちりみたいだ」と言ったとき、加齢や、それに伴う不調を語っているのだと思いました。ウォレン夫妻は60代後半で、昨年は手術や病院通いが続きました。また、介護に備えて家を改装することなどの変化もありました。人生の盛りは過ぎたと感じていたのです。
自分の体力や知識、また感性や霊性に関して力の足りなさを自覚するのに、年齢は関係ありません。神は、御子イエスとしてこの世に来られ、辛酸をなめている人に心を寄せられました(詩103:13)。ダビデ王は「主は 私たちの成り立ちを知り 私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる」(14節)と書いています。創世記は「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(2:7)と語っています。
自分はちりのようだと感じていますか。もしそうなら、あなたは私たちの仲間です。しかし、忘れないでください。自分は弱いと感じるとき、あなたは独りではありません。あわれみ深い神は知っておられます。あなたを覚えておられます。神は私たちを赦すために御子を送ってくださり、ご自分の愛を示されました。人生に何が起ころうとも、神を信頼しましょう。
自分の限界を感じるのはどんな時ですか。弱さの中で、どのように神の御手の存在を感じましたか。
父よ、自分の限界を様々な形で感じますが、信仰を強く持ち、神を信頼していけるように、どうか助けてください。